ハマナカです。9月で53歳になりました。
人生100年時代と言われている中、考えたことを記します。
コップの中の水が半分
「コップの中の水が半分」それをどのように考えるか
もう半分しか無い
まだ半分ある
無いと考えるか有ると考えるか 事実としては半分の水
まだ半分あるさってことで、物事をプラスに見ていくのが大切。という流れに帰結することが多い。
無いことに焦点を当てるより、有ることを強く認識する方が豊かさに繋がる。この流れはいい話。
人生に例えれば、平均寿命がどんどん伸びて、人生100年と言われる時代の半分。
そう私の人生はまだ半分あるのだ。ということになるのですが、、、
そこで考えたことを書きます。
今までの人生の生き方で残りの人生を歩むのか
水の話で言えば、50年かかって半分の水を飲んできたとしよう。
これからまだ半分ある残りの水を同じように飲んでいくのか?
もしかしたら、不味くて飲めないかもしれない。
まずくは無いけど、もう飲みたく無いかもしれない。
飲みたいけれど飲む力が残ってないかもしれない。
そんなことを考えると、、、
これからも美味しくて新鮮な水を飲みたい。
美味しい水を味わう力を持ち続けたい。って考えた。
そう、残りの水の量の問題ではなく、どうやって飲むかってことと自分の人生を重ねて考えたのです。
じゃあ、どうするか? 考えた2つのこと
残りの水を飲むっていうことから人生の残りをどう生きるかに考えを巡らせると、、、、
まだ有ると思うか、もうこれだけしか無いと思うかを超えた2つの考えが浮かんできました。
一つ目は、残りの水を捨ててしまうこと、コップの中を空っぽにします。
人生でいうと、時間の使い方の中身を変えること、今までの生き方を一度断捨離すること。
そうして次に本当に飲みたいものを選ぶということです。
新鮮な水なのか、ワインなのか、キンキンに冷えたビール、日本酒など、飲みたいものを注ぐのです。
つまり、これまでの飲み物=生き方を踏襲するのではなく、新しい生き方のための時間ととらえ直す。
2つ目は、今まで以上に飲みたいものを味わって飲むということ。
これも人生に置き換えると、
いつ終わりが来ても、大満足な人生だったと言えるよう大切に時間を使うこと。
やりたいことに対して、もう年だから、、、っていうような諦めや制限をとっぱらって、
自由自在さに生きていく。
なので、これからは全ての事象に対して「有ることの幸せ」に目をむけて、豊かさを味わう。
って考えました。
水の量の問題から、どうやって残りの水を飲むのか
自分に残された時間はあとどれくらい有るのかは分かりません。
100年生きる時代になったというモノサシで計ると現在は半分過ぎたところです。
もう半分しか無いと考えるのか、まだまだ半分有ると考えるかについては、
私はまだ半分楽しめると思っている方です。
でも、今までと同じ行き方は勿体無いと思っています。
なぜなら、これまでは、いろいろな世の中の基準で生きてきたから。
そして真ん中より上で有れば良いという価値観で生きてきたことにも気付きました。
そうして、、、「さあ残りの人生、もっと自由に好きなことして生きよう!」
もう一人の自分がささやいても、、、これといって好きなことは思いつかなかったのです。
ようやく、最近ブログを書くことが、楽しいと思えるようになってきているところです。
うまく書こうとせずに、まずは継続が肝心って思ってます。
ブログ以外にも、いろいろチャレンジして行こうとおもいます。
今日もありがとうございます。
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