「有る」ということは「ありがたい」

CHANGE MY LIFE

今日もファッションビジネス学校で、使いたい内容のメモを書きます。
コップの中の半分の水。これは、まだ半分あるとみるか、もう半分しかないか。コップの中の水に視点を当てて、有るを認識するのか、コップの中の水の入っていない部分に視点を当てて、無いを認識するのか。という例題に取り上げられる事例。このコップの中の水から、派生した内容。

有ると認識するか、無いと認識するか 

 普段使っている言葉には力があるという言霊(コトダマ)という考え。お金が無い。時間が無い。
 つい口に出してしまうのは、無いという認識が、無いという発言になって口に出てくる。
 その自らの発言を一番よく聞いているのも、自分の耳である。自分で口に出して、自分の耳で聞いていれば、その通りの現実が強化されていくらしい。
 そもそも、無いと認識している状態は、何を基準にしているのだろうか。世の中には、昼間から豪華なランチを食べていたり、有名ブランドを服を普段着として着ていたりするお金持ちの人がいる。お金持ちのライフスタイルをテレビや雑誌で見たり聞いたりすると、すごいとしか思わないのに、知っている人が子供を塾や習い事に通わせているという話や、大型連休にどこどこに旅行に行った話を聞くと、我が家もそうしないといけないのではというプレッシャーを感じてしまう。
これでは「無い」に視点を当ててしまい、絶えず、無いを埋める生き方になってしまう。

無いという認識を捨てないと、いつまでも満たされない

 テレビや雑誌などメディアは、人を不安にさせて、消費欲をあおる。なぜなら、広告主であるスポンサーの意向を受けた番組を作る装置になっているから。ファッショントレンドや人気のグルメ、勝ち組や負け組などのキーワードを作っては、消費を煽っている。
そうやって考えると、「自分が持っていない」「人と比べて足りていない」など「無い」という認識が大きくなる環境にあるとも言える。他人や世間一般という自分以外の基準に照らして、上や下やと判断して、有る人との差の「無い」部分を強く意識してしまう。
 真面目に一生懸命に生きているのに何か満たされない。差を埋めるため、より一層頑張ってしまう。

 足るを知るという言葉があるが、すでに持っているものや有るものに視点を当てることが重要だと考える。僕の場合、「足るを知る」という言葉には、少なくても満足しましょう的なニュアンスを感じてしまうが、もっと根源的に、無いという認識を一度捨て去った眼で物事を認識してみたらどうかと思う。
 たくさんあるのか、少しだけどあるのか、「有る」ということに認識を切り替えてみたら、違う景色が広がり、世界を見る眼も明るくなるのではと考える。

有って当たり前のことは、認識を変えると有難いことになる

 日本という国に限って言えば、1990年初めにバブルが弾けて以来、失われた20年から、失われた30年と、海外の諸国と比べ、賃金が上がらない唯一の国であることが問題になっている。少子高齢化の進展が早く、若者が老人の年金を支え得るのが困難なほど、人口動態が逆ピラミッド状態であり、コロナ禍で閉塞感が漂う気配を強く感じる。
 それでも、戦争している国や、貧富の格差が拡大している国と比べると、まだ、豊かで安全な国であると言える。夜道を安全に歩ける国は驚くほど少ないし、安全であることが当たり前で、そのありがたさに気がついていない人も多いほど治安が良いと思う。

 個人個人は、無いものに焦点を当てるのではなく、有るものに焦点を当て、その豊かさに感謝し、有るものを増やしていくであったり、今あるものを育てて大きくしていく視点が重要であると考える。
 一人一人も、自分の中にあるものを、いかに大きく育てていくのかが問われる時代である。
 
こんな事を考えたので、メモとして残します。
言葉あそびのような文章になってしまった。でも、言葉に表すことができたので良かった。

今日もありがとうございます。

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