「もっと自由に自分らしく生きる」から始まったハッピーアイ

CHANGE MY LIFE

この3年間で大きく世の中が変わるとともに、自身の仕事の内容も大きく変わりました。2011年9月に設立した株式会社ハッピーアイの事業内容の変遷を少しまとめて書いてみようと思います。

Rudy and Peter SkitteriansによるPixabayからの画像

1、設立時は教育ビジネスで立ち上げましたが半年で終了

 2011年2月に18年勤めた百貨店を退社し、9月に株式会社ハッピーアイを設立しました。事業内容はファッションビジネスを大学生に教えるというものでした。
百貨店OBの先輩を雇用し、2人でいろいろなカリキュラムを作りました、1ヶ月週4回で完結する講義で、マーケティング、マーチャンダイジング、接客販売、カラーコーディネイトなどのメニューを作成。京都市内のアクセスの良い立地に60平米くらいの教える場所を借りて、ホワイトボードや教育机なども搬入してミニ専門学校的な体裁でスタート。
まず、生徒集めとして、チラシを作り、ゲリラ的に京都市内の大学の校門付近でビラまきをしました。
書いていて悲しくなるほど、当時誰も興味を示してくれないやってはいけない行動です。
今なら確実にネット集客でしょうね。
いきなりスーツのおっさんがファッションに興味がある大学生と出会う確率は今の銀行預金利率0.001%に近いかも知れません。もっとも楽観的にヒット率0.1%だとしても10人集めるのに1万人の学生に内容告知しなければなりません。
何も考えていなかったわけはないにせよ、徒手空拳、永遠のシャドーボクシング状態になるのは確実。やはり、二人で手分けして10校まわったくらいで、二人の仲がギクシャクし出しました。
そして終了でした。
それでも先輩のお知り合いの学生さんに1講座開催しましたので、受講者0で終了は免れました。

2、そしてファッションビジネス

 教育ビジネスが終了し、先輩とも袂を分かち、ゼロになって考えたのが、ネットショップでした。
百貨店ではオリジナルブランドの商品企画を約8年していました。
大阪には複数のOEMメーカーさんがいて、自分の作りたいものを作れる環境がありました。
ただ生産するロットが個人企業では出せない数だと思っていてのが、ありがたいことに小ロット対応も受けてくれる会社が2社。こうして今度はハッピーアイのオリジナル商品を作ることになったのです。2012年6月1日にenclorage( エンカラージ )ブランドデビューの内見会を内輪で開催。9月からエンカラージオンラインショップとしてネット販売開始。そして今も運営中です。

3、ネットビジネス以外の事業内容の変遷 

百貨店イベント出品 2012年から2017年

オリジナル商品を作ってネットで販売するビジネスだけでは会社は回っていきません。
2012年冬から百貨店の婦人服売場のイベントスペースでの販売事業を開始。百貨店に口座を開いてもらう、百貨店用の搬出入のための納品代行会社と契約するなど、新規で百貨店との商売をするにあたって何が必要かは、それを伝える側にいたので、何の問題もなく店頭展開できました。販売スタッフの派遣会社との契約も知らない人には難易度が高いかも知れません。そういう意味では、会社を辞める2年前に梅田店の担当になって、直近の店のオペレーションを知っていたのが役に立ちました。
 入店時教育も受講し、自らが販売することも複数の店舗でさせていただくことが出来たのは楽しかったです。まるでこの日のために百貨店で働いていたのかもと思う日が多々ありました。もともと本社所属で各店舗の出入りはしていたので、お店の入退店もスムーズでした。分からない店は大変まごつきます。松坂屋名古屋店では、本館1階、3階、北館5階と複数イベントしましたが、1週間で最多の売上を記録したのが、外商サロン前にある5階のイベントスペースでした。高単価のセーターやコートが売れて楽しかったです。
 その楽しいイベント出店も2017年の梅田店15階イベントを最後に終了しています。入社時から食べていた梅田店の社員食堂のカレーうどん卵とじの食べ納めをしました。
 今に始まったことじゃないのですが、百貨店婦人服を取り巻く環境は年々厳しくなっています。出店のお誘いをいただいても採算が合うかどうかはやってみないと分からない世界に突入してます。

OEM(製造委託)会社との契約 2014年から2016年

 大阪心斎橋にあるニットOEM会社は、百貨店バイヤー時代からニットの企画生産で関わりがありました。社長と契約するデザイナーや事務のアルバイトさんを含め6名体制。社長が高齢ということで、手伝って欲しいとのお誘いを受けて2014年から会社を手伝うことになりました。OEMというのはアパレルから依頼された商品の生産を行うことです。
商品企画の段階から関わることもありますが、生産商品の糸の手配、生産工場の選定、商品の輸出入業務、検品から納品といった一連の業務を行い、手数料をいただくビジネス。
 OEM会社に仕事をお願いする立場にいたのが、その中で働く側に立てたので、とても勉強になりました。社長と一緒に香港や上海の展示会や工場などに同行して、業務に関する様々なことを学ばさせていただきました。いつも会社を継いで欲しいという内容のことをおっしゃるのですが、本心では先行き不透明の時代にアパレル業の会社を切り盛りするはそう簡単ではないよという眼をされていました。
 ようやく業務に慣れてきた頃、社長は会社を休みがちになり、電話で日々の業務を報告するような日が1週間ほど続きました。入院されたと聞いてお見舞いに行き、少しお話しをした日から2、3日後2016年12月に他界。驚きとショック。ワンマン経営のその会社をどうするかについては判断者がいませんでした。全員が契約社員でした。ご家族の意思が廃業となったため、そこから大変でした。対外的に、商品の納品や後始末について、ご家族が依頼された担当の弁護士さんの指示に従うことに。2017年の3月まで、受けた商品を納品する業務と会社を終わらせる業務なかで慌ただしくも、とても重く静かな時間が過ぎ、会社は廃業となりました。

OEM事業 2017年から2019年

 大阪のニットOEM会社と大丸松坂屋百貨店のオリジナルブランドも仕事を出しており、今後のニット生産について、指定の商社と組んでハッピーアイで業務を継続させてほしいと依頼がありました。まさかそんなことがあるのっていう展開ですが、後輩から仕事をもらうような関係になってしまいました。
 その関係は長く続かず、1年で商社との契約は終えました。そのブランドも今はもうありません。
 残ったのは仕事を継続して付き合ってくれたニットデザイナーと百貨店グレードの商品を生産できる中国の工場さんたち。みんな仕事が欲しい。これでもう終わりですか?という思い。中途半端なお付き合いで終わらせたくない。
 そこでハッピーアイが起点となって、商品企画をしてアパレルに売り込み、中国で生産し納品するという事業にトライすることになった。貿易業務は大阪の商社にお願いに行き了承を得ました。
 ハッピーアイとしてOEM事業を実施したのは2018年春夏、秋冬、2019年春夏と秋冬の2年間。大阪のアパレルにアポを取っては、商品サンプルを見せ、オーダーをいただくというビジネス。これも逆の立場で8年もバイヤーしてたので、何をどのようにすれば良いかは十二分理解していた。いきなり大きなビジネス規模になってあっという間に1年半が過ぎました。
 チェンジの風がまた吹いたのです。2018年8月31日に商社の部長と課長が弊社に来られました。わかりやすい表現で説明すると、ハッピーアイ抜きで商売しないと本部に怒られるので、もう自前でやりたいのです、どないですか?ってこと。チラッとそういう要件で会社を出たと事前情報を得ていました。もう少し上手く言うやろうって、とても笑えたので、担当デザイナーと直接契約していただけるのであればOKですと答えてしまいました。
仕事くれくれ病にはかかっていませんでした。そしてその半年後、そのような体制になり、ハッピーアイとしてのOEM事業は幕を閉じたのです。

上海出張行の帰りの日に、関空の橋に船が衝突、空港でいつ飛ぶのかの質問に「デイアフターツモロウ」と返され、その日からチーム名をDAY AFTER TOMORROWとして活動していました。

専門学校非常勤講師 2020〜現在

 神戸ファッション専門学校から講師依頼のお話をいただいたのは2019年の11月。事業レベルではないが、株式会社ハッピーアイとして契約した。
 不思議です。願いは叶ったのです。ビラと巻いて生徒を募集しても1名しか教えることが出来なかった最初の事業を形式は違えども、個人としは会社を退社してやりたかった教育に携わることができた。ありがとうございます。感謝です。
 で、どうなの?ってことですが、やはり教えるのはとても難しいです。教える内容についての事前準備は、内容の吟味をしているととても時間がかかかります。たえず、授業で使えそうなことは無いかと考えています。この3年で人生の中で一番本を読んでいます。講義内容についてのノートはツバメノートA4判で、日々気づきを記しています。今までの授業内容を見直し、輝かく学生の眼差しを見るを目標に取り組みます。

この他に2019年から不動産賃貸業も営んでいます。

4、ハッピーアイの今後について

 最初の教育ビジネスはうまく行かなかったけれど、現在は教育ビジネスに携わることが出来ている。とても感謝している。
 ハッピーアイを設立した理念は、「もっと自由に自分らしく生きる」視点で、お客様の役に立つ。
 私自身が世の中の価値基準に合わせて、自分がいけているのかどうかを気にしたり、他者との比較で自分の優劣さに一喜一憂したりしてきた会社員時代を振り返り考えたこと。
 自分の人生を自分でコントロールできる生き方にチェンジしよう!それを発信したかった。
 自分を満たし、すでにある豊かさに感謝することで、心地よく生きる人々が増えれば、少しは世の中、明るくなっていくんじゃないの。いろいろなことをやりたい人は色々なことをやっていい。

 自らを満たし、他者も満たし、世の中を明るくする。そんな活動をしていきます。

 

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