ここ数日、人生を振り返り気付いたことを書いてきました。これからは、こうしよう、ああしようと。今朝の読書でまた、新たな文章と出会いました。
多くの人は「過去の人生の積み重ねがあって、今日という日を生きている」と思い込んでいます。今までの自分が、創り出した「結果」としての現在の「状況」に、今の自分が左右される。実際、そのように見えますし、それは人間のリアルです。
けれども、、、もし、、、そこに「まったく関係ないよ」という視点が加えられたとしたら、人生には何が起きるでしょうか?
そして、次の文章にはこう書かれてあ離ました。
無限のパラレル宇宙の中心に、観察者としての自分を置く。
すると、ただ「自分がどう在りたいか?そして、どう在るのか?」それだけ。
スフェエラ 松果体をひらく 牧之内大史
本に書いてあることが全て正しいとは思いませんが、過去と今は関係ないということに衝撃を受けました。「自分がどう在りたいか」そして「どう在るか」今に意識を向けた生き方です。
今に意識を向けて生きると解釈すると、過去を悔やまず、未来を心配することなく、自由に羽ばたく鳥のイメージです。大空をスイスイと飛び回っているような姿が見えてきます。
重い軽いでいえば、軽くふわふわした感じ、鮮度で言えば、ピチピチ弾ける感じです。
この本で読んだのではないのですが、
時間は過去から、現在、未来へと流れていると思っていました。
今は未来から現在へと時間が流れているという考えも納得できるようになりました。
過去の出来事のとらわれ、いつまでも、その記憶を反芻しながら、いつまでも夢に出てくる光景に対して、いつになれば消えてくれるのだろうと思いながら、その日その日を過ごしてきました。
過去があったから、今の自分があるという意味で、過去を忘れるなよっていう意識が夢を見させるだろうと思っていたのですが、過去の行いに対する後悔の気持ちがそうさせていることに気づきました。
過去に戻って生きることはできない。後悔している感情を忘れてしまいたい。それにはどうしたら良いのだろう?っていう気持ちがあるので、心の中にいつまでのその感情が存在していました。
「忘れることはできないかもしれないけれど、その感情を小さくしていきたい」ではなく、考えないですね。
過去の嫌な記憶を反芻するのをやめるには、今を楽しんで生きること。
こう書くと、まだまだ囚われているように思います。
過去は過去として、過ぎ去ったもの。
いま生きているのに、思い出してしまうと、その過去にいる自分の状態を思い出して、過去の中で生きていることになってしまう。
過去は変えれないけど、過去の解釈は変えることができるということも本で読んだことがありました。
起こった出来事を無しにしてしまうことはできません。でも、過去のせいで今が大変という解釈から、過去の経験が今に生きているというふうに、過去の出来事のレッテルとマイナスからプラスに変えることはできます。
過去は過去。
今は今。
過去でもなく未来でもない今。
今の自分を大切に、やりたいことをやる。
少し落ち着いて「今やりたいことをやる自分」を練習していきたいです。
「自由自在に生きる」練習です。
今日は、今書きたいことを書くことができました。
今日もありがとうございます。
Melanie van de SandeによるPixabayからの画像
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